ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

『岡野弘彦全歌集』ノート其の壱

岡野弘彦全歌集』を買いました。昨年十二月に青磁社から刊行された箱入り定価一万二千円の本です。全歌集とは通常はこのように歌壇で活躍している歌人が生きているうちにその歌業を振り返って出版されます。
 私の仕事は行政書士ですが恥ずかしいほど経済力がありません。岡野氏の全歌集が発売されたことはネットニュースをみて知っていましたが、趣味でこんな散財をしていいのかと悩み購入をためらいました。けれども今年の春に個人事業主対象の二度目のコロナ給付金が支給され、すべて生活費に使ってしまうのも味気ないので、通帳に国から五十万円が振り込まれたのを確認してから青磁社にこの全歌集を注文しました。
 届いた全歌集は鉱物の表面を模したようなマッシブで奇抜な装丁が美しく、買ってよかったと思いました。本の厚さは千ページを越えており、もちろん一気に読み通すことはできません。しかしこのまま本棚に収めてしまうのももったいない気がして、いつも使っているテーブルの上に置いていました。
 内容は、第一歌集『冬の家族』から第八歌集『美しく愛しき日本』までの既刊八歌集に加えて、未刊歌篇三千首が収録されています。解説は秋山佐和子氏、歌集解題は一ノ関忠人氏。秋山氏は編集協力として奥付にも名前があります。栞の執筆者は馬場あき子、三浦雅士長谷川櫂沢口芙美、川涯利雄の五氏。とりあえず『冬の家族』から順番に読むことにしました。
 以下、この原稿は私の読書ノートのような記述となります。

・ひたぶるに人を恋ほしみし日の夕べ萩ひとむらに火を放ちゆく(「悲しき父」)
 『冬の家族』の最初の一首。この歌集は作品を逆年順に配置しているので、これが刊行当時の最も古い作品というわけではありません。作者が野焼きする情景を詠まれています。火遊びは非常なさみしさを抱えている子供がよくやるので問題になったりしますが、この作品からも何か特異なさみしさが歌われています。「恋ほし」恋しと同じです。二句目が字余りになっています。

・かがやきて燃ゆるほむらのしづまれば心のありど定めなむとす(「悲しき父」)
 火を見て興奮した気持ちが治まったのでしょう。落ち着いた心を取り戻してすべてがスタートするのだと思います。

・わが心耐へがたきまで夕雲のかがやけば窓をとざし出できぬ(「悲しき父」)
 ナイーブな感性です。かがやきを見ると何かが心の中で文字通り燃え上がってしまう、子どものような激しさをいつも理性で抑えつけていたのでしょうか。

・くるほしく夜ごと思へど現し身に触れざりしゆゑ人はすがしき(「悲しき父」)
 プラトニックな恋愛観です。実際に人は接近すれば好ましくない体臭もありますから、リアリスティックでもあります。

・年たけて世のあり憂さを知りしとき悲しかりにし父と思はむ(「悲しき父」)
 人は成長し人生経験を積むと、年長者の苦労がわかるようになると言われています。ここで作者が気づいたのは父の悲しさです。人の本当の気持ちを後になってから理解できるようになるのもよくあることです。しかしその感情が肉親の悲しさでそれは相当に深いものであったと知ったとき、作者も悲しかっただろうと思います。

・あたらしく得し恋をわれに聞かせつつ海よりも暗き瞳してゐる(「白き耳」)
 恋愛している者の瞳を文学的に表現するとこうなるでしょう。

・肋の骨あらはに見ゆる身の汗を夜半に拭へり夏過ぎむとす(「白き耳」)
 リアリズムの描写で詠まれています。脂肪があまり付いていない体で、戦後しばらくの間は日本人の体付きはこうだったのでしょう。

・幾百の鶏がひたすらに餌を喰む音夜の鶏舎に聴きてわれは佇つ(「冬至前後」)
・夜ごとわが手に文鳥を遊ばせてつぶやくことは人に聞かさじ(「冬至前後」)
 鳥を好む人は心の強い人が多いです。一時的に病んでいたとしても、いつか立ち上がります。

・地図の上にシルクロードをたどりゆき遣りどなきわが憂ひをはなつ(「歳かはる夜」)
・いらだちの心しづむるすべなくて幾たびか立つ夜の厠に(「歳かはる夜」)
 あまり良いことがない時期に詠まれた作品でしょうか。良いことも良くないことも心はすべて正直に歌にしてみようと思いました。

・夜ふけて独りさめゐる幼な児がひそひそと猫にものを言ふなり(「歳かはる夜」)
 私は子どもを育てたことがありませんが、こういうちょっと怖い不思議な場面はあるのだろうと思います。あまり深く考えるとオカルトになりますが、子どもは完璧に猫と言葉を交わしているような気もします。

・大正の末に生まれて奔放なる若さといふを知らず過ぎきぬ(「冬の家族」)
・少年の日の二月二十六日かの日より追憶はいよよ暗くなりゆく(「冬の家族」)
 作者は大正十三年生まれです。昭和十一年のクーデター未遂事件である二・二六事件が子どものころに起きています。激怒した昭和天皇が自ら軍を指揮して鎮圧に当たりました。追憶が暗くなるというのは、記憶が曖昧になるということでしょうか。それとも、当時に作者が受けた心の衝撃はそのままで何か別の形に結晶していったのでしょうか。

・縫ひぐるみの犬・猿・雉を枕べに並べ寝る子によき年よ来よ(「冬の家族」)
・何をまづ書かむとするぞ新しき日記にむかひてあらたまりゐる子(「冬の家族」)
 二・二六事件について詠んだあとの数首は、マイホームパパの幸せをほのぼのと詠まれた歌が続きます。新年の明るさと二・二六事件の暗さの記憶を詠まれた歌をあわせて「冬の家族」と題し、ここから歌集の名前を取られています。

・草の上のままごと遊び幼らのなまめく声を憎む心湧く(「あぢさゐのあを」)
 しかし、しばらくするとこのように家族への苛立ちを詠んだ歌もあります。

・苦しみて岸に寄る子を幾たびか突きもどすなり耐へよと言ひて(「プールサイド」)
・怒りの眼見ひらきてよく耐へる子よわが父もわれに厳しかりにし(「プールサイド」)
 岡野家の教育方針がよくわかる作品。

・ひそかなる悔いわく朝を妻が飼ふ鈴虫の壺に霧ふきてやる(「かかる日々」)
 作者の後悔についてはもう少し詳しく論じるつもりです。

・憤りなく日々を過ぎきて若者の鋭き眉にあへばおどろく(「春浅きころ」)
 日常を過すなかで捨てて来た何かを思い出すことが繰り返され、これが『冬の家族』全体を貫く法則なのです。

(「ぱとす」令和4年9・10月号より)