ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

中川宏子歌集『かぼちやに変はる』感想

 中川宏子第三歌集『かぼちやに変はる』の感想を書きます。

・太陽の手、月の手星の手あらはれて幼きわれの髪を直しぬ
 天体とのつながり、大きな存在とのつながりを願う心の表現でしょうか。しかし手を伸ばすその相手は現在の中川さんではなく幼いころの中川さんです。

・日暮れとは死者の窓かも細々と白きロープの風に吹かるる
 日暮れと現世に吹く風のイメージが交差することを想像させます。

・対戦のすべては負けて灰となる嫌ぢやないのだ夫に負けても
 負けても悔しくない将棋をご夫婦で楽しんでおられます。

・下見ればブーツの多き車内にて三毛・黒・きじとら喩へて過ごす
 ブーツの柄を猫の種類に喩えて楽しい作品です。

・命日に形見のバッグ開けてみて母のティッシュがそのままにある
 死後に故人についての新たな発見をされたのは、何でもないことでも切ないものです。

・人の子は生まれた数だけ死ぬといふ平等をもて生まれくるなり
 人間についてその生死の数だけが平等ということでしょうか。

・生き場所であり死に場所である病院のカーテン透かしてひかり入りくる
 病院は死に場所であるという中川さんの正直さが興味深いです。

・一面に白き粒子をみなぎらせ夜霧はふかく森と交はる
 森に霧が立ち込める様子をリアルに描写されています。

・泣きながら書く日の増えてしまひには水飴になつちまふつてさあ
 水飴になるという比喩だけでも魅力的でさらに結句をくだけた口語にしたところが非凡な才能であり、真似をしたいと思いました。

・亡き兄の声を聞くためわが甥を電話口まで呼び出すゆふべ
 お二人の声が似ているからでしょうか。甥はそのことを知っているでしょうか。

・ベルリンに一人で来ればもう少し生きたくなつて雀と遊ぶ
 「雀と遊ぶ〈ベルリン紀行〉」と題した作品の最後の歌。中川さんはドイツ文学科のご出身でベルリンの観光名所の秀歌がいくつも収録されています。

・咲きかけの薔薇のことばで話すから春の海辺にもう少しゐて
 咲きかけとあり、未練を感じさせます。

・医師はただデータを見てゐる黒ずんだ爪もつわたし見つめてください
 抗がん剤を使ってのがんの治療中の歌です。

・やや渋き煎茶のやうな毎日をささへてくれてどうもありがたう
 ご家族への感謝の気持ちを詠まれた歌です。

・あさぼらけ主への祈りをふかくせり 苦手な人の良きこゑに気づく
 信仰をもつことで心の豊かさが保証されるのだと思いました。

・見上ぐれば夫の顔ある平穏を夜道のひとつの灯りと思ふ
 大切な人との生活こそ生きていくための希望です。

・痺れゐる手首のうへの黒き蠅 虹を吸ふごと羽はひかりぬ
 蠅でさえ美しく見えるのは生の輝きそのものだからかもしれません。

タナトスに挨拶をしに、しに、九月あめ降る昼に海を見にいく
 読点や漢字かなづかいがまさにこれしかないと思えるほどうまく使われています。

・生れたての真珠のやうに清しくて目を細め視る冬の太陽
 上の句の比喩が素晴らしいです。

・帆の下りたヨットみたいだ闇の中ひとりベッドに腰かけてゐて
 岡井隆が亡くなったときの中川さんの心象風景です。

・活けるときトルコ桔梗のむらさきが夏の光にきゆんきゆん弾む
 トルコ桔梗のふっくらとした花を結句で上手く読まれています。

・空蟬と思へどさらに血にまみれ道の遺体は土を握りぬ
 ロシアのウクライナ侵攻が始まり、マウルポリでの犠牲者の姿を詠まれた歌です。

・亡くなりしわれの家族が一人づつお見舞いに来るあかときの夢
 がんの手術が近づいているころの不安な心が詠まれています。

・蟻のごとコロナ患者が増えてゐる手術の前にどうすりやいいのさ
 コロナの治療に人員設備が割かれてそれ以外の医療が影響を受けました。

・退院の日に咲く庭の薔薇一輪小さな虹にしづかに触れる
 完治ではないようですが、病気になり中川さんの自然をみる見方は大きく変わったのかもしれません。

(「ぱとす」令和6年秋号より)