ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

西真行歌集『〈結石〉を神と言おうか』感想

 西真行歌集『〈結石〉を神と言おうか』(ながらみ書房)を読みました。著者の西真行さんは「塔」所属の歌人でこれが第一歌集です。
 左尿管結石を患うようになってからの二か月間の闘病記として纏められた歌集です。その病の性質から治療においてかなりの苦痛を伴う病気であることが作品からわかります。
・今晩はどうして寝ましょ湧いてくる記憶の痛みと重なりあって
・寝るために耐える力の必要で大地の重さに身体あずける
内視鏡尿道入れど進まない突きたる痛さにやめてと叫ぶ
・無視をして医師は突けどもずり上がり身体ふるえて汗噴き出しぬ

 次の歌にある『いのちの初夜』は北条民雄の昭和十一年に書かれた小説で、私は岩波文庫の「日本近代短編小説選 昭和篇1」に収録されていたのを読んだことがあります。ハンセン病患者として施設に入れられた主人公の希望にも絶望にも似る澄んだ心を描いた作品だったと記憶しています。
・自分しか判断できぬ深夜なり「いのちの初夜」をこれより迎え
 著者も相当な覚悟をもって入院しなければならず、自分の心にいちばん近い真実を描いた小説として『いのちの初夜』を思い出したのでしょう。歌集の後半にもこの小説の話題が歌に出てきます。

 また、著者は良寛が好きなようで、この歌集の解説を書かれた江戸雪さんもそのことを指摘されています。著者は闘病生活を通じて良寛に対する思想的な理解をさらに深められたのだと思います。
・糞尿にまみれたるとう良寛の弱音の歌の重きを思う

 著者は一旦は治り退院できるのですが、完治せず、この失望感は読者である私も切なくなりました。
・昼食のうどん啜れば寒気して兎に角眠るか悪しき予感に
・先ほどに退院したる病院へふたたび行きたりこころ重たく
・細菌と西洋医学の綱引きの寝るほかなしの身体になりぬ
・体温は38度を越えてゆく神さまなんとつれなきことよ

 退院後に再び容態が悪くなってしまったとき次のような歌を詠まれています。
・結石を除去したけれど空を越え指示したるかな宙よりの死者

 著者はこの歌集において、自らの病を神が与えたものであると表現しています。これはあとがきにあるように「これを辛い苦しみとしてのみとらえるのではなく、意義あるものとして見つめることはできぬかとも考えた」からです。結石除去が成功したあとに次のような歌を詠まれています。
・神さまは身体のなかに現れて消えてゆきしか痕跡残し

 辛い病を経験したがゆえに身に付いた繊細な物の見方が素晴らしいです。
・改良の十月桜冬を越え咲きつづけおり涙ぐましも

(「ぱとす」令和5年1・2月号より)

世田谷区北沢川緑道のジュウガツザクラ

 

ぱとす2023年1・2月号後記

明けましておめでとうございます。発行が少し遅れましたが、本年もよろしくお願いします。

正月明けの最初の三連休に日蓮宗本山の池上本門寺に行ってお参りしました。本門寺に隣接する池上大坊本行寺には日蓮大聖人ご臨終の間というものがあり、そのお堂の前に有名な御会式桜が植えられています。この桜はあまり見栄えのする花ではありませんが、いつ行って見ても可憐な花が枝に付いているような気がします。日蓮聖人が亡くなられた秋に桜が咲いていたという故事から御会式桜が植えられ大切にされてきたそうです。
寒い季節に咲く桜はなんだか霊妙で、私はこの桜と青空をともに見上げるといつも不思議な気持ちになり我を忘れて見惚れてしまいます。

令和四年の冬は新型コロナの感染者の爆発的増加とロシアのウクライナ侵攻の話題で持ち切りでした。春になっても戦争は終らず、円が急落して二十年ぶりの円安水準を更新しました。
七月の参院選の直前に安倍元首相が暗殺され、それからは旧統一教会と政治家との関係をめぐる問題がずっとテレビ、新聞の見出しを独占する状態となりました。
今年もこれらの問題がいずれも解決していないことから、この延長として時代の姿が形づくられていきます。日本にこれほどバカバカしくくだらない時代はかつてありませんでしたから、こんな時代に人生を終えねばならない高齢者は本当に気の毒だと思います。

私はもう年賀状を出していませんが、いただけるといつも嬉しく拝読しています。本年が皆さまにとって良い年となりますようお祈り申し上げます。

(「ぱとす」令和5年1・2月号より)

 

『岡野弘彦全歌集』ノート其の弐

 私は秀歌をあまり読んでこなかった気がしますので、『岡野弘彦全歌集』の読み込みを続けて少しきちんと短歌を学んでいきたいです。

・月蒼き夜半にいできて連翹の花むら燃ゆる庭に立つなり(「花」)
・妻子らにかかはる憂ひ耐へきつつあまり明るし連翹の花(「花」)
 連翹は春に咲く黄色い花です。よく見かける花ですが、私は今回ネットで調べてその名前を知りました。一度にたくさん燃えるように咲いて、本当に明るい印象の花です。私はずっと独り者ですから、家族を持っていることを憂いなどと言うのはうらやましく贅沢な悩みだなあと思いました。連翹の花言葉は希望です。

・悲しみを知りそめし子に「銀の匙」読みきかせをり妻はなごめる(「病める金魚」)
 死にそうな金魚が心配で元気をなくしてしまった長男に、妻が中勘助の小説を読み聞かせたという歌です。「銀の匙」は私は大人になってから読みました。確か家を出ていく姉との別れで小説が終ります。岡野氏の妻の暖かい対応とは対照的に、岡野氏は長男を次のように教育したようです。
・故もなく闇をおそるる長男を叱りつつ夜の庭に立たせぬ(「病める金魚」)

(「ぱとす」令和4年11・12月号より)

 

 

ぱとす2022年11・12月号後記

 今年最後の「ぱとす」をお届けします。表紙の写真は私が歩いて実家に行く途中の高台から撮影したものです。遠くに見える富士山の辺りに夕陽が沈み、シャッターチャンスだと思いスマホを取り出したところ、ちょうど新幹線が通りました。
 雑誌の中身につきましても、だいぶページが減ってしまいましたがよい歌が集りましたので、自画自賛になりますが私はこの号の出来に満足しています。ぱとすの人の文章も面白いので、ぜひじっくりと読んで下さいませ。
 この数年は毎年のように今年よりひどい年はもうないだろうと思いながら過しています。最悪の年を更新し続けながら生きているかんじです。今年も残すところあと2か月。このまま2022年をわが人生の最悪の年として記憶するのでしょうか。

(「ぱとす」11・12月号より)

大田区上池台5丁目から見た夕景

「ぱとす」2022年11・12月号表紙

 

『岡野弘彦全歌集』ノート其の壱

岡野弘彦全歌集』を買いました。昨年十二月に青磁社から刊行された箱入り定価一万二千円の本です。全歌集とは通常はこのように歌壇で活躍している歌人が生きているうちにその歌業を振り返って出版されます。
 私の仕事は行政書士ですが恥ずかしいほど経済力がありません。岡野氏の全歌集が発売されたことはネットニュースをみて知っていましたが、趣味でこんな散財をしていいのかと悩み購入をためらいました。けれども今年の春に個人事業主対象の二度目のコロナ給付金が支給され、すべて生活費に使ってしまうのも味気ないので、通帳に国から五十万円が振り込まれたのを確認してから青磁社にこの全歌集を注文しました。
 届いた全歌集は鉱物の表面を模したようなマッシブで奇抜な装丁が美しく、買ってよかったと思いました。本の厚さは千ページを越えており、もちろん一気に読み通すことはできません。しかしこのまま本棚に収めてしまうのももったいない気がして、いつも使っているテーブルの上に置いていました。
 内容は、第一歌集『冬の家族』から第八歌集『美しく愛しき日本』までの既刊八歌集に加えて、未刊歌篇三千首が収録されています。解説は秋山佐和子氏、歌集解題は一ノ関忠人氏。秋山氏は編集協力として奥付にも名前があります。栞の執筆者は馬場あき子、三浦雅士長谷川櫂沢口芙美、川涯利雄の五氏。とりあえず『冬の家族』から順番に読むことにしました。
 以下、この原稿は私の読書ノートのような記述となります。

・ひたぶるに人を恋ほしみし日の夕べ萩ひとむらに火を放ちゆく(「悲しき父」)
 『冬の家族』の最初の一首。この歌集は作品を逆年順に配置しているので、これが刊行当時の最も古い作品というわけではありません。作者が野焼きする情景を詠まれています。火遊びは非常なさみしさを抱えている子供がよくやるので問題になったりしますが、この作品からも何か特異なさみしさが歌われています。「恋ほし」恋しと同じです。二句目が字余りになっています。

・かがやきて燃ゆるほむらのしづまれば心のありど定めなむとす(「悲しき父」)
 火を見て興奮した気持ちが治まったのでしょう。落ち着いた心を取り戻してすべてがスタートするのだと思います。

・わが心耐へがたきまで夕雲のかがやけば窓をとざし出できぬ(「悲しき父」)
 ナイーブな感性です。かがやきを見ると何かが心の中で文字通り燃え上がってしまう、子どものような激しさをいつも理性で抑えつけていたのでしょうか。

・くるほしく夜ごと思へど現し身に触れざりしゆゑ人はすがしき(「悲しき父」)
 プラトニックな恋愛観です。実際に人は接近すれば好ましくない体臭もありますから、リアリスティックでもあります。

・年たけて世のあり憂さを知りしとき悲しかりにし父と思はむ(「悲しき父」)
 人は成長し人生経験を積むと、年長者の苦労がわかるようになると言われています。ここで作者が気づいたのは父の悲しさです。人の本当の気持ちを後になってから理解できるようになるのもよくあることです。しかしその感情が肉親の悲しさでそれは相当に深いものであったと知ったとき、作者も悲しかっただろうと思います。

・あたらしく得し恋をわれに聞かせつつ海よりも暗き瞳してゐる(「白き耳」)
 恋愛している者の瞳を文学的に表現するとこうなるでしょう。

・肋の骨あらはに見ゆる身の汗を夜半に拭へり夏過ぎむとす(「白き耳」)
 リアリズムの描写で詠まれています。脂肪があまり付いていない体で、戦後しばらくの間は日本人の体付きはこうだったのでしょう。

・幾百の鶏がひたすらに餌を喰む音夜の鶏舎に聴きてわれは佇つ(「冬至前後」)
・夜ごとわが手に文鳥を遊ばせてつぶやくことは人に聞かさじ(「冬至前後」)
 鳥を好む人は心の強い人が多いです。一時的に病んでいたとしても、いつか立ち上がります。

・地図の上にシルクロードをたどりゆき遣りどなきわが憂ひをはなつ(「歳かはる夜」)
・いらだちの心しづむるすべなくて幾たびか立つ夜の厠に(「歳かはる夜」)
 あまり良いことがない時期に詠まれた作品でしょうか。良いことも良くないことも心はすべて正直に歌にしてみようと思いました。

・夜ふけて独りさめゐる幼な児がひそひそと猫にものを言ふなり(「歳かはる夜」)
 私は子どもを育てたことがありませんが、こういうちょっと怖い不思議な場面はあるのだろうと思います。あまり深く考えるとオカルトになりますが、子どもは完璧に猫と言葉を交わしているような気もします。

・大正の末に生まれて奔放なる若さといふを知らず過ぎきぬ(「冬の家族」)
・少年の日の二月二十六日かの日より追憶はいよよ暗くなりゆく(「冬の家族」)
 作者は大正十三年生まれです。昭和十一年のクーデター未遂事件である二・二六事件が子どものころに起きています。激怒した昭和天皇が自ら軍を指揮して鎮圧に当たりました。追憶が暗くなるというのは、記憶が曖昧になるということでしょうか。それとも、当時に作者が受けた心の衝撃はそのままで何か別の形に結晶していったのでしょうか。

・縫ひぐるみの犬・猿・雉を枕べに並べ寝る子によき年よ来よ(「冬の家族」)
・何をまづ書かむとするぞ新しき日記にむかひてあらたまりゐる子(「冬の家族」)
 二・二六事件について詠んだあとの数首は、マイホームパパの幸せをほのぼのと詠まれた歌が続きます。新年の明るさと二・二六事件の暗さの記憶を詠まれた歌をあわせて「冬の家族」と題し、ここから歌集の名前を取られています。

・草の上のままごと遊び幼らのなまめく声を憎む心湧く(「あぢさゐのあを」)
 しかし、しばらくするとこのように家族への苛立ちを詠んだ歌もあります。

・苦しみて岸に寄る子を幾たびか突きもどすなり耐へよと言ひて(「プールサイド」)
・怒りの眼見ひらきてよく耐へる子よわが父もわれに厳しかりにし(「プールサイド」)
 岡野家の教育方針がよくわかる作品。

・ひそかなる悔いわく朝を妻が飼ふ鈴虫の壺に霧ふきてやる(「かかる日々」)
 作者の後悔についてはもう少し詳しく論じるつもりです。

・憤りなく日々を過ぎきて若者の鋭き眉にあへばおどろく(「春浅きころ」)
 日常を過すなかで捨てて来た何かを思い出すことが繰り返され、これが『冬の家族』全体を貫く法則なのです。

(「ぱとす」令和4年9・10月号より)

 

 

ぱとす2022年9・10月号後記

露地に咲くヒガンバナ

大変遅くなりましたが、9・10月号をお届けします。今日は彼岸入りで、赤いヒガンバナが満開でしたのでそれを写真に撮り表紙にしました。

世間はさまざまな事件で騒がしい状態が続いています。
平成も始まったころはバブル崩壊オウム真理教の問題などでずいぶん世の中は騒がしかったと記憶しています。平成の終わりは東日本大震災の発生を始めとして豪雨災害など自然災害で私たちの社会は混乱することがありました。
令和になり、自然災害ではなく再び人為的な理由で社会が混乱する状態になったと私は考えています。コロナ禍は自然界に存在するウイルスによって生じたものですが、過剰な感染症対策や自粛で社会がおかしくなり、そのために自殺者も増えたそうで、これも人為的な理由による社会の混乱だと思います。

世の中の動きがどうであれ、私は趣味の短歌だけは続けていきたいと願っています。永田和宏氏が短歌は自分の人生を記録して形に残していくための優れたメディアであるといった旨の発言をされたことがあります。
狂騒の巷で自分を見失ってしまわぬためにも、われわれは歌を詠み続けるべきでありましょう。

昨年の7月にぱとすを復刊し1年以上が経ちました。なかなか同人の数も雑誌のページ数も増えていきません。会の活動としても、この雑誌を発行するのは当然として、歌会などのイベントを開催したいとずっと思っています。今のところ継続できているのは毎月のメール歌会だけですが、これも途切れることなく続けていきたいです。
楽観しながらもぼちぼちやらなくてはなりません。

(「ぱとす」9・10月号より)

 

「ぱとす」2022年9・10月号

 

荏原病院

 

荏原病院正面玄関

 中学1年のときに体育の授業で右腕の骨を複雑骨折しました。都立荏原病院の整形外科に運ばれて、確か2週間ぐらい入院したと記憶しています。

 私が治療を受けているとき、同じように入院していた患者の中年男性から最近の子供は骨が弱くなったせいですぐに骨折すると揶揄されたことがありました。治療してくれていた医師がそれを聞き、昔と今で違うのはレントゲン撮影で骨折が発見されやすくなったこと、今の子供の方が栄養状態が良いので骨が弱くなっているとは考えられないといかにも医師らしい科学的な知識を披露して即座にこの男性に反論しました。

 

 

 荏原病院の現在の名称は東京都保健医療公社荏原病院というそうです。この病院には昔から伝染病床があり、2014年にはエボラ熱対策指定医療機関になったとのこと。現在はコロナ感染の疑いのある患者を受け入れて治療しています。

 この夏もまたコロナの感染が拡大。伝染病は昔より増えたでしょうか。

(「ぱとす」令和4年7・8月号より)