ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

『岡野弘彦全歌集』ノート其の六

・猩々木道をうづめて咲きつづく名護の入江に人を訪ひきつ(「妣の島」)
ベトナムへたちゆく兵に犯されし女の末を憤りいふ(「妣の島」)
・言ふことはつたなけれども老いびとの歎くまなこの澄みてはげしき(「妣の島」)
・仏桑華くれなゐふかく咲き垂るる首里王城の池をめぐれり(「妣の島」)
・夜に入りて風絶えはてし暑き部屋やもりの啼くをききて寝むとす(「妣の島」)
 一首目の猩々木はしょうじょうぼくと読み、ポインセチアの和名で、現在はほとんどこのように言わなくなったそうです。名護は昔から沖縄有数の観光地でした。米軍の辺野古新基地建設で埋め立て工事が行われているところでもあります。
 二首目はベトナム戦争の悲劇を知る人からその記憶を岡野氏が聴いている場面です。当時はここから米軍の爆撃機が多く飛び立ち、沖縄はベトナムの人々から悪魔の島と呼ばれて恐れられていました。
 三首目の結句で「はげしき」と表現されるところが岡野氏の着眼の優れているところだと思いました。
 四首目の仏桑華はぶっそうげと読み、ハイビスカスの和名らしいです。首里城周辺に美しく咲くハイビスカスの姿を想像できます。
 五首目のやもりの啼き声はどんな声だろうと思いYouYubeで探して聴きました。キィキィとかなり大きな声を出します。これがたくさんいて啼かれたらなかなか寝られなかっただろうと思います。

・越えて来し山のはざまを夕鳥のむれつつわたる見ればはろけし(「枯山」)
・草の穂ははつかにいでてそよぐなり吉野喜佐谷の峡に入りきつ(「よしの・あすか」)
・秋の陽は乾きするどし山の尾に如意輪堂の甍かがやく(「よしの・あすか」)
・何を願ひてともすあかしぞ堂ふかきゆらぎを見ればあはれ身にしむ(「よしの・あすか」)
 沖縄旅行のあとも近畿地方を旅して詠まれた作品が続きます。

 そして古事記日本書紀で描かれた神話の世界をまるで実在の旅のように岡野氏は歌で表現します。
・雄心を猛くたもちて降りゆけ葦原の国さやぎてありなり(「天若彦」)
・歎かひの心知らねば淡あはし天つをとめの妻と別れし(「天若彦」)
・天つ国もここも同じぞをとめ子はかなしき眼もて我を見にけり(「天若彦」)
・新芽だつ松のこずゑの蒼き空天つみ国はさやけかりにし(「天若彦」)
・神の怒りたもちがたしと嘆かへば血潮のごとし天ゆふ焼くる(「天若彦」)
・水銹び田のゐもりにも似て雄心の失せにしわれを鳥はののしる(「天若彦」)
・人の世にはじめて流す神の血のくれなゐ深く土にしむなり(「天若彦」)
 一首目で何か猛々しい気持ちが詠まれていますが、六首目でその雄心はもうどこかへ消えてしまいます。
 五首目で怒りが持続しなかったというのは、多大な犠牲を払ってアメリカと戦いながらも第二次世界大戦後の平和な時代を生きた日本人の精神状態の譬えとしても理解できます。
 七首目の上句はこれも歴史的に重大なことが起きたことの暗示であり、敗戦がまず連想されます。近代戦争のみならず、その長い歴史において日本は対外戦争でほとんど敗北したことがありませんでした。

・顕し世の青人草のなげかひを今よりは神も知りたまふらむ(「天若彦」)
・挽歌はま夜の長夜をつづけども鎮まりがたし謀反人われ(「天若彦」)
 古事記では人間を八首目にある青人草と表現しています。次々に生えて育っていくことから人と草を同視しています。さまざまな権利が認められているわれわれ現代人がこの表現に込められた感覚を素直に理解するのは難しいかもしれません。
 九首目の謀反人とは、何に対して刃向かい逆らっているのでしょう。

(「ぱとす」令和5年11・12月号より)

令和6年元日の初日の出