ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

『岡野弘彦全歌集』ノート其の五

 全歌集の『冬の家族』の続きを読んで感想を記します。

・のどかなる憩ひを欲ひてこしならず心つつましく寺庭にをり

 この「大和いづかた」の章は東京を離れて過去の出来事から詠まれた作品が集められています。寺院の固有名詞もいくつかの歌の中に登場します。この歌ではただ「寺庭」と記されています。
・桜の花散りくる土に長ながと横ほる塔の影を踏みゆく
・戦ひをのがれ帰りて無頼なる日に逢ひたりし女を悔しむ
・わがためにひたぶるなりし女ありき髪うつくしく夜はにみだれき
・隣り家にいでゆくごとくある夜の我をのがれて去りし女よ

 これらはまだ作者の個人的な過去の出来事を思い出して詠まれた歌でしょう。次の二首はまた別の女性を詠んでいると思われます。
・ひたすらに若き無慙を悔しみて女人高野の塔によりゆく
・手拭を白くかづきて塔の欄みがく女をつくづくと見ぬ

 悔いという言葉が繰り返しよく使われています。
・風たちて青葉の影のゆらめけばその幻の面わ見えこよ
・旅の夜の睡りにつかむひと時の心ゆりくる悔いはさびしき
・夜ふけてひたすらにわが念ひしは若き日つひに遂げざりしこと

 第二次世界大戦の日本軍の戦いを神話のように表現した秀歌が続きます。
・神倭磐余彦の軍に追はれ這ひいづる盲土蜘蛛に心寄るなり
・草の葉の露をすすりてのがれきつ地にさらぼへる土蜘蛛の裔
・地にひそむ名もなき鬼もうめき出よ疼きのごとく陽は土に沁む
・まざまざと眼に顕つものか眉焦げて戦ひの夜をのがれ来し顔
 朝廷の官軍=アメリカ軍、土蜘蛛や鬼=旧日本軍という図式なのですが、一般には分かりにくいと思いますし私も考えがまだよくまとまっていませんのでいずれくわしく論じたいと思います。

・旅に倦む心すべなしたたずみてぜんまいの芽のほぐるるを見つ
 旅行中に旅行にあきることは確かにあります。そして何気ない小さな生物の様子に心がひかれほっとすることもよくあります。

・菜の花の黄のひろがりのただ中に蒼くたたまるは天の香具山
二上の男嶽の道をのぼり来て宇陀の高原に立つ虹を見つ
 奈良を旅するときは万葉集の教養があるかないかでその旅行の楽しさはまったく別物となります。私はかつて一度だけ奈良を旅したことがあります。ぜひまた行きたいと思っていて、それまでにもっと万葉集を学んでおきたいです。
・山風のとどろくときに梁きしむ古きみ堂にい寝がたくをり
当麻寺西塔の下に見いでたり姫あてびとのかそかなる墓
・生ける日は苦しかりければ古びとは祈りをもちて魂を鎮めつ
・よみがへり信ずるゆゑにうつくしき明日香の御代の魂ごひの歌
・魂は何方へゆきてしづまるや泊瀬のやまの峡くらく見ゆ

 「大和いづかた」のあと、沖縄を詠まれた「妣の島」が続きます。沖縄は日本の原始的な姿が残っている土地であるとも言われます。古代の奈良から原始日本である沖縄へ、岡野弘彦の旅は日本人の精神史の古層へと深く潜っていくのです。
・暮れはてて海波の荒れのつのりくる海に幻のごとき島見ゆ
・人の住む島とも見えずそそり立ち夜のうみぎしに迫る岩むら
・空よりもさらに真蒼になぎわたる大海原に舟一つゐぬ
・波の秀の色さえざえと変りきつ沖縄じまに船は近づく

 上陸して、島の人々や暮らしの様子が歌に詠まれます。
・水桶を頭に据ゑて歩みくる眉間の皺のするどき女
・島びとを入るることなき青芝はら鉄条網のなかにかがやく
・地に低き榕樹の森のかげりくる島の夕べに鳴きいづる鳥    
・島びとは昼をひそみて眠るらし真裸の子が庭に遊べる
・茅屋根の母屋につづく鶏小屋にひしめく鶏の臭ひたちくる

(「ぱとす」2023年9・10月号より)

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