ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

『岡野弘彦全歌集』ノート其の七

・しづまりし湖のみぎはのさざ浪に月照りてくるを見てい寝むとす(「さざ浪の国」)
・近江の湖塩津の浦に寄る波のさゐさゐとしてさびしき真昼(「さざ浪の国」)
・早苗田の棚田のなかを流れゆく八田部の川の瀬の音すみくる(「さざ浪の国」)
・水底の藻草のなびきさえざえと見えとほるなりあまりさびしき(「さざ浪の国」)
 滋賀県を旅されたときの歌です。
 一首目の湖は琵琶湖でしょう。
 二首目の「さゐさゐ」はさわさわと音がする様子を示す擬音語です。万葉集柿本人麻呂の歌「玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来て思ひかねつも」があります。
 三首目の八田部は滋賀県長浜市にある土地の地名です。
 さびしいという言葉がよく出てきます。

・けふ暮れて七日の歩みおのづから古きひじりのさびしさに似る(「四国辺土」)
・菜の花は暮れてののちも色たちてほのに明かるき道をゆくなり(「四国辺土」)
・夜ふけて語りいづるは順礼の旅にはてたる古びとのうへ  (「四国辺土」)
・あかときの襖へだてて聞えをり老いし遍路の称名の声(「四国辺土」)
・後の世を願ふならねどひたぶるに深谷寺の階のぼるなり(「四国辺土」)
志度寺の夕べの庭に思ふなりわがすぎてこし苦しき海やま(「四国辺土」)
 菜の花はくっきりと目立って明るい花だと二首目を読んで改めて思いました。
 四首目の称名は仏様の名前を声に出して呼んで称えることです。浄土教系は南無阿弥陀仏ですね。この旅行中の岡野氏は年齢はいくつぐらいでしょうか。五首目の後の世を考えるにはまだ若いのかもしれません。
 六首目の志度寺香川県の海沿いにある古刹です。これまでの旅を感慨深く思い出しておられるのでしょうか。

 このあと、歌集は「師の亡きのち」という章に入ります。岡野氏の人生の大きな転換点となる時期の作品が収められています。
・秋風の吹きぬけてゆく畳の上ひつそりと師は寝ていますなり(「病ひ篤し」)
・吸呑みの荒れし唇に触るる時わづかにまなこ開きましけり(「病ひ篤し」)
・むごきこと我にしふるとのらせしが再びは眼をひらきたまはず(「叢をくだる」)
・ほそぼそと我が名を呼ばす声すなり。あかとき暗き部屋のもなかに(「叢をくだる」)
・師が病ひ癒ゆることなくひと夏を過せし家の戸を閉すなり(「叢をくだる」)
・ひとつひとつ部屋の灯りを消しゆきてしづまりはてし家をいできぬ(「叢をくだる」)
 岡野氏は昭和二十八年七月から師の折口信夫とともに箱根仙石原の山荘で過します。折口は以前から病気だったのか、この滞在中に容態が悪化します。
 一首目に秋風とありますが、まだ八月です。
 三首目の「むごきこと」とは下山すべきだという岡野氏の提言で、折口はこれを拒絶しますが、岡野氏が説得します。
 五首目の詞書に「二十八日、叢隠居を閉ぢて、山を下る。」とあります。

・師のまさぬ家のむなしさ夜ふけてガスのほのほに手を温めをり(「師の亡き家」)
・胸のうへに手を組みしまま眠りますさびしき癖をもちていましき(「師の亡き家」)
・執深く生きよと我にのらせしは息とだえます三日前のこと(「師の亡き家」)
・あまりにもむなしくなりて眼とぢをり読み解きがたき師の文字ひとつ(「師の亡き家」)
 折口が亡くなり岡野氏の心にもっとも強く感じられたのはむなしさであったようです。
 二首目の手を胸の上で組んで眠るのは、何かその人の心理的な特徴を表わしているのでしょうか。さみしい癖というものは人に知られたくないものです。現在、私が父の介護をするようになって気付いたのですが、父も折口とまったく同じように寝るとき必ず胸の上で手を組んでいます。
 三首目の執は執念の執ですね。執着や固執の執でもあります。最後にまたむなしいという言葉が出てきます。岡野氏のその後の人生はこのむなしさとの戦いでもあったのでしょうか。

(「ぱとす」2024年春号より)