ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

 山口雄也著『「がんになって良かった」と言いたい』感想

 『「がんになって良かった」と言いたい』(徳間書店刊)を読みました。著者の山口雄也さんは大学一年のときにがんを宣告されて闘病生活に入りました。闘病生活をブログに記し、それが地元の新聞で「がんになってよかった」というタイトルとともに取り上げられたことからネット上で炎上したらしいです。その後、NHK「ひとモノガタリ」で山口さんの闘病生活と病や生き方に対する考えが紹介されて大きな反響を呼び、ブログをもとにした本書が昨年七月に刊行されました。
 そして、今年の六月に山口さんは亡くなりました。彼の死は大きく報道されて、私はそれで山口さんのことと本書の存在を知りました。がんの宣告を受けたときの心境や、同じようにがんの闘病生活を送っている仲間との交流などが非常に明晰な読みやすい文章で綴られています。あとがきに「この世には、死を目前にすることでしか知覚できない世界がある」という一文があります。明治時代に活躍した僧侶の清沢満之は「独立者は常に生死巌頭に立在すべきなり。殺戮餓死もとより覚悟の事たるべし」(『絶対他力の大道』)という非常に厳しく、不思議な美しさを感じさせる言葉を残しています。生死巌頭に立在するとは、生の中にあって死を直視しつつ生きることです。独立者とは仏法に目覚めた者のことで、信念が確立した人間像を表わしています。清沢も病と格闘しながら若くして亡くなった宗教者です。山口さんが見ていた美しい世界を今から百年以上前に清沢も見ていたはずです。
 本書は刊行当時、生き残ったがんサバイバーのハッピーエンドの物語として広く読まれのだと思います。前途有為の若者の悲劇など誰も認めたくありません。山口さんも読者もこの物語の主人公が一年後に死に捕まってしまうことを知りません。ツイッターには、亡くなる数日前に歩行練習をする山口さんの姿がアップされています。彼がこの世を去ったあと、本書に書かれた「あなたにはあなた自身の命について我が事として考えてほしい」「これは僕の物語であると同時に、あなた自身の物語でもある」という言葉に読者は何度でも向き合うことになるでしょう。
 山口さんは充分に幸せだったご自身の冥福を読者に祈られるよりも、自分の読者がこれからもずっと命について考え続けていくことを願っていたように私は思います。

(「ぱとす」2021年9・10月号より)

 

f:id:pathostanka:20211224101643j:plain