今村昌平監督の「楢山節考」を観ました。1983年の作品で、この作品が公開されたとき私は中学生でした。貧しい山村における姥捨てを描いた作品で、公開当時に話題になっていたので観たいと思ったのですが、すでにこの映画を観た同級生がひどい評価の話を私に聞かせてくれました。それでその当時は観ませんでした。
私は今から14年ほど前、木造の古いアパートの部屋で暮らしていました。訳あって収入がだいぶ減ってしまい、生活レベルを落とす必要があって、風呂なしトイレ共同で家賃の安いその部屋を選びました。余暇にもお金をかけられず、古本を買って読んだり、ポータブルDVDプレーヤーでレンタルの映画のDVDをよく観ていました。
その時に読んだ本で印象に残っているのが深沢七郎の原作小説である「楢山節考」で、映画は木下恵介監督の1958年作品の「楢山節考」も観ました。木下作品は歌舞伎の舞台のような演出で、格調高くこの残酷で美しい物語を表現していました。原作を読んで映画も観て、1983年の今村作品を観なかったのは、昔の同級生がこの映画を酷評した記憶が残っていたからでした。
それでこの今村作品を観ての感想ですが、私の同級生が酷評したのもわからなくはないと思いました。捕食や生殖をする生物の姿が、理科教材の映像のように所々に挟まれるのです。人間も自然の一部だという思想が表現されているのですが、全体が理屈っぽくなってしまった印象です。
しかし、ラストの緒形拳と坂本スミ子が雪の舞い始めた山で抱き合うシーンでは本当に感動しました。人間が所詮は動物の一種だとしても、動物のなかでも特に情愛が深い生き物なのだと思いました。
(「ぱとす」2021年11・12月号より)