ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

新しきわれのうた

書評:横山岩男歌集『うたの歳月』(いりの舎)

 平成二十九年から昨年七月までの作品を収めた第九歌集。五年前の早春に著者は次の歌を詠まれている。
立春の光明るく日の方へ歩み出ださむわれの一歩を
・良きことのまだあるごとく思はれて生日けふを子らに祝はる
 この年に八十四歳の誕生日を迎えて著者は家族から祝福されている。老齢の歌人の幸福な家庭を想像し読者も温かい気持ちになる。
・気力だけは失せずにあらむと胸を張る骨のあらはになりたる胸の
 これは令和二年の作品。下の句のリアルな描写が諧謔的。長命だった窪田空穂は最晩年に至るまで人間らしくしっかりと精神活動を続けていた。著者が師事した松村英一もまた長命で、簡明直截な歌風であると言われている。
・母の死に早く会ひしが人の死に悲しみ淡く哀しみうすし
 この歌は著者の性質と人生観を忌憚なく表白している。また、令和三年には次のような歌がある。慎重に人生を生きてこられた方かとも思う。
・八十八を過ぎなば急峻の坂ありと独り胸内に思ひてゐたり
 死をできるだけ避けようとする普段の心がけがあるからこそ次のような歌を詠まれるのだと思う。
・人の死を待てるがごとく思はれておくやみ欄の新聞を閉づ
 次のような清冽なる歌は人間の生き方についての歌人の最終的な考えであろう。
・生くるとは新しき自己に会ふなりと思ひ定めてわが生きむとす
 著者がNTTを早期退職してからの毎日の生活を心中どのように思っていたか、そのヒントとなる歌が次の二首である。
・残る世はあと幾年か職持たず経にし三十年は短くもあるか
・二度の勤め皆断りて気儘なる暮らしに今の吾があるなり
 ともあれ、次の二首には市井の人としての健全な思想が感じられる。
・美しく老ゆるといふは夢の夢いかに老ゆとも恥づべきならず
・夕の飯終へたるあとの一時を無上のものと身を横たへぬ
 著者の妻が入院し、心配しながらも面会できた喜びを詠んだ「思ひの外元気な顔に現れぬリモート面会の小さき画面」という一首でこの歌集は終わる。夫婦は高齢になれば、二人で外を歩くだけでも見事な絵になる。年を取り病をわずらうことにさえも人間の新しい希望がある。
・紫陽花の濃き紫の花の道老ゆればはばからず妻の手を引く
・若き日になきことながら人中に妻の手を引く共に病みつつ

(「短歌研究」2022年4月号より)

 

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横山岩男歌集『うたの歳月』