ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

『岡野弘彦全歌集』ノート其の参

 四か月ぶりに岡野弘彦全歌集のページを開きました。『冬の家族』の続きを読み感想を書き留めます。

・蒼ざめし耳朶より血しほしたたらせ抱かれてこし自治会学生(「しひたぐるまじ」)
・論理ただしくもの言ふ一人たちまちに荒き罵声のなかに揉まれゆく(「しひたぐるまじ」)
・戦ひを経てこしゆゑに言論をしひたぐる力をもつとも憎む(「しひたぐるまじ」)
 岡野氏は文学で博士号を取得した後、母校である國學院大学に勤めます。大学側の教員として当時の学生運動と対峙することになったようです。この運動は実際に暴力を伴う激しい反体制運動であり、傷つき出血した学生の様子を描写する歌からこの章が始まります。正しい論理は力を持たず、愚かな罵声が人々を惹きつける状況です。但し、この罵声は現代のネットに溢れかえる誹謗中傷よりはましだと私には思われます。
 三首目の「戦ひ」とは第二次世界大戦を指します。戦後民主主義の思想に基づき言論の価値を推し進めるようとする岡野氏は言論を抑圧する力を最も憎むと歌います。しかし、この「しひたぐる力」があったからこそそれを撥ねつけるべく言論の強さが最大限に鍛えられたことも事実でありましょう。

・わが前に怒りそばだつ学生にたぢろぐまじと眼を見据ゑ立つ(「しひたぐるまじ」)
 舐められたらお終いだという気持ちを「たぢろぐまじと」と正直に表現されています。

・たけりたつなかの一人にせめてわが心かよへとひたすらに言ふ(「しひたぐるまじ」)
 人間同士のコミュニケーションは心を通わせることがいちばん大切です。相手が怒りで我を忘れている者であるからこそこちらは理性的であらねばならないのです。

・論理するどく行動きびしき学生の父の多くは戦ひに死す(「しひたぐるまじ」)
 はっと気づかされた作品です。六十年安保闘争を主導した学生の戦闘性と粘り強さの秘密がここに明かされているように思います。第二次世界大戦を戦った日本軍の兵士のように捨て身で大義のために戦おうとしたのでしょう。

・生き残りたる我ら世代の逡巡をするどく責むる言葉に耐へをり(「しひたぐるまじ」)
 なぜお前は生き残っている、生きているなら我々とともに戦うべきだという声が岡野氏の心に響いたのでしょう。戦後のわれわれ日本人の堕落がここに始まっているとも言えます。
 勇敢で心優しく、懐かしい人たちはすでに彼岸へ去ってしまいました。此岸にとどまるのは卑劣なクズばかりで、自分もそのクズの一人としてクズの群れの中で怠惰で無意味な人生を生きねばなりません。この悲しみを出発点として岡野氏は歌を詠むようになったのでしょう。

・肩寄せて語れば清くしづかなるまなこ向けくる若さを信ず(「しひたぐるまじ」)
 しょせん相手は世間知らずの学生です。いかに優秀であっても、その若さゆえ大人の狡猾さを知らず、こちらから体を寄せて言葉巧みに語り掛ければ籠絡することも難しくありません。

・ひとりひとりに説かむとしつつ寄るわれに拒絶きびしきプラカードの盾(「しひたぐるまじ」)
 体力のある学生が集団で行動するのですから、どんな大人でもそれに向き合ったときひるんでしまうのは無理のないことです。しかし、相手が一人なら話は別です。当時の大学に進学するのは経済力のある限られた家庭の子女ですからもともと育ちが良く、本来は学生運動のような粗暴な振る舞いに彼らは向いていないのです。そうしてまず学生個人にターゲットを絞り歩み寄ろうとする戦略を岡野氏は探りますが、岡野氏の目論見を挫いてしまうのがプラカードなのです。
 これはデモなどで抗議活動をする側にも力を与えています。本当に個人ひとりひとりは弱い。戦いの正義をどれだけ信じていても、気弱だけれど誠実な大学教員から腹を割って話そうと語り掛けられたら、とりあえず大義を脇に置いて妥協してしまうかもしれません。
 われわれが弱いからこそ、高く掲げられたプラカードの言葉が光り輝く理想の道筋を示してくれるのです。

(「ぱとす」令和5年3・4月号より)