ぱとすの人

短歌同人誌「ぱとす」に掲載した文章や編集後記を公開します。

ぱとす2023年7・8月号後記

 

しながわ中央公園のカンナ

 東京は今年も昨年と同様に梅雨に雨があまり降らず、ついに梅雨明けとなりました。連日の猛暑ですでに私はギブアップ寸前です。

 ほぼ一月遅れの発行となりました。すみません。以前と比べて少なくなったページ数を元に戻そうといろいろ試みているうちに時間が経ってしまいました。

 依然として私は本を読まず、余暇はインターネットでSNSをみています。人間は本を読まなければ間違いなく馬鹿になりますから、このままだと老後が心配です。若年性認知症という病気もあるそうです。

 角川『短歌』七月号の「短歌の底荷」という最近の短歌会の動向を紹介する連載記事でぱとすを取り上げていただきました。『短歌』の編集者に改めて感謝を申し上げます。

 タレントのryuchell(りゅうちぇる)氏が自殺し、その原因がネットの誹謗中傷にあると言われました。言論の自由より人間の命の方が大切です。ダイバーシティは根付かないまま社会の分断は加速していくと思われます。

 ツイッターを私はもう九年近く続けています。そのツイッターの名前がなくなるそうです。表面的にはいろいろ変化が起きているようですが、それでもあまり時代は変らないのだろうと思います。
 そろそろスマホに代わる何かが出来て欲しいです。私はスマホを使い始めて二年半になりますが、これは本当にストレスのかかるものを持たされているなあと感じています。ITの技術を進歩させるなら、まずこのスマホをどうにかもっと楽なものにしてもらいたいです。視力の低下も心配です。

(「ぱとす」2023年7・8月号より)

「ぱとす」2023年7・8月号表紙

 

『岡野弘彦全歌集』ノート其の四

・眼を据ゑて我に迫りし学生も疲れ帰りぬ午前三時に(『冬の家族』「しひたぐるまじ」)
 昔の学生運動はこんな時間まで真剣にやっていたようです。時代が下がると学生運動の活動は安易なものになり、安倍政権時代のSEALDsに至ると若者が楽しむだけのお祭りと化しました。

・若者の罵声に耐へて帰りこし我にやさしき長男のしぐさ(『冬の家族』「しひたぐるまじ」)
・心たかぶりてい寝がたきゆゑ幼な児と将棋をさしてい寝むとすなり(『冬の家族』「しひたぐるまじ」)
 岡野氏は言わば体制側の人間として六十年安保闘争を経験しました。苦しいのは学生も教師もお互い様だったようです。

(「ぱとす」令和5年5・6月号より)

 

ぱとす2023年5・6月号後記

「交差点」 ©ナカジマ・ヨシモリ

 本年第三号をお届けします。「ぱとす」はこれで二年間雑誌を発行できたことになります。ちょうど二年前の今ごろは、復刊第一号に参加してくれる同人を募っていました。その時に参加してくれた同人のうち何人かは、残念ながらすでにぱとすから去っていかれました。私は歌壇で活躍するような著名歌人ではなく、また歌集もこれまで私家版のものを一冊出しただけですから、私のような素人の歌人が始めた短歌会に一時期でも参加して下さったことはとてもありがたく、「ぱとす」のバックナンバーで懐かしく皆さんの作品を読むことがあります。

 表紙の絵は、今回も写実画家のナカジマ・ヨシモリさんの作品を使わせていただきました。交差点を渡るとき、人は未来への一歩を踏み出します。日差しの強いこの時期の交差点は異世界へ繋がる扉のようでもあり、私たちはアスファルトの道を踏みしめて現在の先へと時間をくぐり抜けていくように渡っていきます。

 先月で私は五十五歳になりました。一昔前の勤め人でしたらもう定年が近づいてくる年齢です。今は七十歳を越えても働くのが普通のことのようになりました。将来のことは、本当は誰にもわかりません。私たちは今の自分のこころを大事にして歌を作っていきたいです。

(「ぱとす」5・6月号より)

「ぱとす」2023年5・6月号表紙

 

『岡野弘彦全歌集』ノート其の参

 四か月ぶりに岡野弘彦全歌集のページを開きました。『冬の家族』の続きを読み感想を書き留めます。

・蒼ざめし耳朶より血しほしたたらせ抱かれてこし自治会学生(「しひたぐるまじ」)
・論理ただしくもの言ふ一人たちまちに荒き罵声のなかに揉まれゆく(「しひたぐるまじ」)
・戦ひを経てこしゆゑに言論をしひたぐる力をもつとも憎む(「しひたぐるまじ」)
 岡野氏は文学で博士号を取得した後、母校である國學院大学に勤めます。大学側の教員として当時の学生運動と対峙することになったようです。この運動は実際に暴力を伴う激しい反体制運動であり、傷つき出血した学生の様子を描写する歌からこの章が始まります。正しい論理は力を持たず、愚かな罵声が人々を惹きつける状況です。但し、この罵声は現代のネットに溢れかえる誹謗中傷よりはましだと私には思われます。
 三首目の「戦ひ」とは第二次世界大戦を指します。戦後民主主義の思想に基づき言論の価値を推し進めるようとする岡野氏は言論を抑圧する力を最も憎むと歌います。しかし、この「しひたぐる力」があったからこそそれを撥ねつけるべく言論の強さが最大限に鍛えられたことも事実でありましょう。

・わが前に怒りそばだつ学生にたぢろぐまじと眼を見据ゑ立つ(「しひたぐるまじ」)
 舐められたらお終いだという気持ちを「たぢろぐまじと」と正直に表現されています。

・たけりたつなかの一人にせめてわが心かよへとひたすらに言ふ(「しひたぐるまじ」)
 人間同士のコミュニケーションは心を通わせることがいちばん大切です。相手が怒りで我を忘れている者であるからこそこちらは理性的であらねばならないのです。

・論理するどく行動きびしき学生の父の多くは戦ひに死す(「しひたぐるまじ」)
 はっと気づかされた作品です。六十年安保闘争を主導した学生の戦闘性と粘り強さの秘密がここに明かされているように思います。第二次世界大戦を戦った日本軍の兵士のように捨て身で大義のために戦おうとしたのでしょう。

・生き残りたる我ら世代の逡巡をするどく責むる言葉に耐へをり(「しひたぐるまじ」)
 なぜお前は生き残っている、生きているなら我々とともに戦うべきだという声が岡野氏の心に響いたのでしょう。戦後のわれわれ日本人の堕落がここに始まっているとも言えます。
 勇敢で心優しく、懐かしい人たちはすでに彼岸へ去ってしまいました。此岸にとどまるのは卑劣なクズばかりで、自分もそのクズの一人としてクズの群れの中で怠惰で無意味な人生を生きねばなりません。この悲しみを出発点として岡野氏は歌を詠むようになったのでしょう。

・肩寄せて語れば清くしづかなるまなこ向けくる若さを信ず(「しひたぐるまじ」)
 しょせん相手は世間知らずの学生です。いかに優秀であっても、その若さゆえ大人の狡猾さを知らず、こちらから体を寄せて言葉巧みに語り掛ければ籠絡することも難しくありません。

・ひとりひとりに説かむとしつつ寄るわれに拒絶きびしきプラカードの盾(「しひたぐるまじ」)
 体力のある学生が集団で行動するのですから、どんな大人でもそれに向き合ったときひるんでしまうのは無理のないことです。しかし、相手が一人なら話は別です。当時の大学に進学するのは経済力のある限られた家庭の子女ですからもともと育ちが良く、本来は学生運動のような粗暴な振る舞いに彼らは向いていないのです。そうしてまず学生個人にターゲットを絞り歩み寄ろうとする戦略を岡野氏は探りますが、岡野氏の目論見を挫いてしまうのがプラカードなのです。
 これはデモなどで抗議活動をする側にも力を与えています。本当に個人ひとりひとりは弱い。戦いの正義をどれだけ信じていても、気弱だけれど誠実な大学教員から腹を割って話そうと語り掛けられたら、とりあえず大義を脇に置いて妥協してしまうかもしれません。
 われわれが弱いからこそ、高く掲げられたプラカードの言葉が光り輝く理想の道筋を示してくれるのです。

(「ぱとす」令和5年3・4月号より)

 

ぱとす2023年3・4月号後記

「街のアーティストたち」 ©ナカジマ・ヨシモリ

 本年第二号をお届けします。東京はもう桜が咲いています。
 本当はもっと早くこの号を出すつもりでした。公私にわたりトラブル続きで時間がなく、今ごろの発行となりました。

 短歌同人誌ですから編集後記にも文学の話を書くべきだと思いますが、最近はほとんど小説さえ読まずに生活しています。日本の古典文学をきちんと学びたいのですが、それも果たせずにおります。
 文学をやっていないと、物事の微妙な違いがわからなくなります。つまり無神経で野暮な人間になるのです。論理的な言葉によるコミュニケーションはAIの発展でだいぶ楽になっていくでしょう。しかし、文学の言葉はおそらくいくらAIに学習させてても理解されないのではないでしょうか。
 インターネットを使い慣れている現代人こそ文学をやらなければなりません。

 表紙の絵は写実画家のナカジマ・ヨシモリさんの作品を使わせていただきました。私は自分の短歌もこの絵の中で描かれているいろいろな落書きのようなものだと考えています。落書きは暗い人間による寂しい自己表現です。
 止むに止まれず私は歌を詠みます。あなたも私もみんな都市に暮らす芸術家なのです。

(「ぱとす」3・4月号より)

「ぱとす」2023年3・4月号表紙

 

西真行歌集『〈結石〉を神と言おうか』感想

 西真行歌集『〈結石〉を神と言おうか』(ながらみ書房)を読みました。著者の西真行さんは「塔」所属の歌人でこれが第一歌集です。
 左尿管結石を患うようになってからの二か月間の闘病記として纏められた歌集です。その病の性質から治療においてかなりの苦痛を伴う病気であることが作品からわかります。
・今晩はどうして寝ましょ湧いてくる記憶の痛みと重なりあって
・寝るために耐える力の必要で大地の重さに身体あずける
内視鏡尿道入れど進まない突きたる痛さにやめてと叫ぶ
・無視をして医師は突けどもずり上がり身体ふるえて汗噴き出しぬ

 次の歌にある『いのちの初夜』は北条民雄の昭和十一年に書かれた小説で、私は岩波文庫の「日本近代短編小説選 昭和篇1」に収録されていたのを読んだことがあります。ハンセン病患者として施設に入れられた主人公の希望にも絶望にも似る澄んだ心を描いた作品だったと記憶しています。
・自分しか判断できぬ深夜なり「いのちの初夜」をこれより迎え
 著者も相当な覚悟をもって入院しなければならず、自分の心にいちばん近い真実を描いた小説として『いのちの初夜』を思い出したのでしょう。歌集の後半にもこの小説の話題が歌に出てきます。

 また、著者は良寛が好きなようで、この歌集の解説を書かれた江戸雪さんもそのことを指摘されています。著者は闘病生活を通じて良寛に対する思想的な理解をさらに深められたのだと思います。
・糞尿にまみれたるとう良寛の弱音の歌の重きを思う

 著者は一旦は治り退院できるのですが、完治せず、この失望感は読者である私も切なくなりました。
・昼食のうどん啜れば寒気して兎に角眠るか悪しき予感に
・先ほどに退院したる病院へふたたび行きたりこころ重たく
・細菌と西洋医学の綱引きの寝るほかなしの身体になりぬ
・体温は38度を越えてゆく神さまなんとつれなきことよ

 退院後に再び容態が悪くなってしまったとき次のような歌を詠まれています。
・結石を除去したけれど空を越え指示したるかな宙よりの死者

 著者はこの歌集において、自らの病を神が与えたものであると表現しています。これはあとがきにあるように「これを辛い苦しみとしてのみとらえるのではなく、意義あるものとして見つめることはできぬかとも考えた」からです。結石除去が成功したあとに次のような歌を詠まれています。
・神さまは身体のなかに現れて消えてゆきしか痕跡残し

 辛い病を経験したがゆえに身に付いた繊細な物の見方が素晴らしいです。
・改良の十月桜冬を越え咲きつづけおり涙ぐましも

(「ぱとす」令和5年1・2月号より)

世田谷区北沢川緑道のジュウガツザクラ

 

ぱとす2023年1・2月号後記

明けましておめでとうございます。発行が少し遅れましたが、本年もよろしくお願いします。

正月明けの最初の三連休に日蓮宗本山の池上本門寺に行ってお参りしました。本門寺に隣接する池上大坊本行寺には日蓮大聖人ご臨終の間というものがあり、そのお堂の前に有名な御会式桜が植えられています。この桜はあまり見栄えのする花ではありませんが、いつ行って見ても可憐な花が枝に付いているような気がします。日蓮聖人が亡くなられた秋に桜が咲いていたという故事から御会式桜が植えられ大切にされてきたそうです。
寒い季節に咲く桜はなんだか霊妙で、私はこの桜と青空をともに見上げるといつも不思議な気持ちになり我を忘れて見惚れてしまいます。

令和四年の冬は新型コロナの感染者の爆発的増加とロシアのウクライナ侵攻の話題で持ち切りでした。春になっても戦争は終らず、円が急落して二十年ぶりの円安水準を更新しました。
七月の参院選の直前に安倍元首相が暗殺され、それからは旧統一教会と政治家との関係をめぐる問題がずっとテレビ、新聞の見出しを独占する状態となりました。
今年もこれらの問題がいずれも解決していないことから、この延長として時代の姿が形づくられていきます。日本にこれほどバカバカしくくだらない時代はかつてありませんでしたから、こんな時代に人生を終えねばならない高齢者は本当に気の毒だと思います。

私はもう年賀状を出していませんが、いただけるといつも嬉しく拝読しています。本年が皆さまにとって良い年となりますようお祈り申し上げます。

(「ぱとす」令和5年1・2月号より)